XEMLIKX’s DIARY

DTM初心者の音楽日記 ByK2opX.,@T6

【コラム】耐え難いことをプラスに変える・・・

f:id:XEMLIKX:20190327022036j:plain

今回のコラムは最近色々あってその影響もあってネットのことや曲作りに対して思うことを書いていこうと思います。

※多少批判的な表現が含まれています。


私たちは、ブログやSNSなどあらゆるWEB媒体で毎日様々な意見が飛び交う様を見て大量の情報シャワーを浴び続けている。
その浴び続けている情報の中には良い物も悪い物も沢山あり、情報の正確性を担保するために批評や批判的な表現は必ずどこかには含まれている物で、これが原因で論争が起きたり衝突が起きたり問題が勃発したりもする。とはいえ全てが良い事しか書いていないような偽善的な世界もそれはそれで気持ちが悪かったりはするのだが・・・

どんなことでも100人いれば100通りの意見があるのは当然のことで様々な意見があって当たり前だ。ということを先に書いておくが、インターネットの場合は自分が発信した情報を受け取る人の母数がリアルとは段違いで非常に多く、ましてや100%正確な人間などいるはずもなく、何かしら失敗をしてしまうことは良くあることで、時に批判されたり問題の中心自分物になってしまうことも出てくるだろう。ましてや影響力の強い人ほどソレが起きる可能性は高くなる。かといって、批判や批評を恐れて自分を押し殺す必要も無いし「インターネットは自由で良い!」というのは私も賛成していることではあるが、現代の情報化社会ではストレスのかかるネガティブな情報と上手に向き合いスルーしたり受け取って自分なりに消化するスキルはある程度持ち合わせていた方が良いと自分なりに考えていてもリアル以上に様々な人間と交流が簡単に持てるが故に衝突も起きてしまったりもする。しかし忘れてはならないと思っていることは、インターネット上で直接的な表現で暴言などを書けば訴えられたり逮捕されたりもされる場所であり、もはや公(おおやけ)の場所となんら変わらない。

画面を通していても向こう側には人間がいて文章からだけでも読んだ相手は何かを感じ取る。そこに負の感情が入っていれば読んだ相手も負の感情を受け取りそれが心に残る。こういったことを意識してネットを使った方が良いと思っているし利用者全体がこうしたリテラシーを持ってほしいと願っていたりもする。

誰でも簡単に情報を発することが出来る時代になり、インターネットを使う上でこれまではアンチに対する処世術の方が言われてきた面を強く感じるが、これからは受け取り手の感情をある程度配慮してそれなりに気遣うということが出来る、ということがこれから要求されるスキルではないだろうか。

こんな建前を書いたうえで今回の話を進めて行こうと思うのだけど、最近インターネット上でネガティブな感情に触れ第3者であってもネガティブな感情を引き起こして負の連鎖が始まっていくなという事をつくづく感じた。ことの発端は直接的に自分がやられたわけではないのだけど、とある批評を見ているだけで「嫌悪感」を抱き「負」の感情が高まってしまったという出来事があった。本来であれば100%スルーしてることだったが、ストレスのかかる事象に対して理不尽な批評や絡みを遮断するという術(すべ)が無かったことで余計な労力を強いられ疲弊してたのだ。

インターネットの使い方は人それぞれ自由であって良い。しかし、インターネットは先にも書いたように今や公(おおやけ)の場所となんら変わりない。ましてやこれからの時代はインターネット上の振る舞いはリアルの信用にもつながると言っても決して過言ではないだろう。それは匿名であったにせよ、匿名のアカウントが持つ「信用」はインターネット上のその人の「人と成り」によって作り上げられ住み分けがされていく。インターネット上もリアルも、ほとんど変わらないからこそ自分の居場所をどう確保するか、というような行動はリアルな世界とかなり近いように感じている。

様々な人間がいてインターネットの使い方は人それぞれ「自由」で良い、という前提があるとはいえ、より公に近い場所では「必要以上に人を傷つけない」といったような幼稚園児でも理解しているような「倫理感」みたいな物を持ち合わせていない人とはなるべくなら距離を置いていたい。個人的な感情は抜きにしても暗黙の了解として、「ここはそういう場所だ」というものはインターネット上でも自然に作られていくものであり「類は友を呼ぶ」という言葉はインターネットでも、そのまま当てはまることだと言えるだろう。

住み分けがされ自分が活きたい世界に自由に行けば良い。

(あいつは日の当たる場所は合わないからサーフェスじゃなくてアングラ世界に行った方が良いと思うけどね。出会う場所が悪かったと思うよ。ここだけの話)

どこのブログで見たか忘れてしまったのだけど、「自分のデキが悪すぎてネットでも居場所がない!」ということを書いている人もいた。その方は自分の中の感情の部分で居場所がないと感じているパターンだとは思うので別の問題ではあるかもしれないが、リアルでもネットでも自分の居場所や領域というのはある。ネット上での振る舞いで必要以上に敵を作るようなことが多くなればインターネット上でも居場所が少なくなっていくということはあるだろう。いくらでもリセットできたり成り代われるのはバーチャルで良いところではあるかもしれないが最近の傾向はインターネット上で匿名だとしてもリアルに近いブランディングをしているような場合も多く替えが効かないことも多いからこそ不用意なことはなるべくなら避けた方が良いのだろう。逆にハッキリとした態度を示すことも時に必要なことだとも思うのだ。

起きた出来事については忘れることにしたのだけど、その影響は割と自分の中では大きくて、忘れるとは言いつつも別の行動として変わったことがあった。それは、この出来事が起きてしまったことが凄く残念であったし術がなかったことで「負」の感情のまま直接的な行動を起こしてしまったことで他者に対して悪影響を与えてしまったことの償いであったり、全体的な不快感を取り去るために何かできることは無いかと思ったときに、自分自身がそんな力を持ち合わせているとは思ってはいないが優しい旋律の音を作りたいという気持ちになったということと、それに行動に移すとで気持ちを切り替えるきっかけを作ってあげられたらと思ったことだ。

この数日で作ってる曲のコード進行がJAZZ寄りになってるのは、コードの響きが心地よいと感じるからで、少なからずこれの影響があるのだろうと感じている。耐え方ほどの気持ちになったにもかかわらず、その「負」エネルギーが実際に創作意欲につながったなんて、なんとも皮肉な話だ・・・。

そんな風に昇華できるようになったのは少しだけ自分が大人になったということなのかもしれない・・・今の自分にはあまりよくわからないがプラスに転換出来てることはとりあえず悪くない。